原爆のこと、広島原爆60周年記念日にて2005/08/06 20:13

広島原爆ドーム

今朝、いやなものをTVで見てしまった。
エノラ・ゲイに乗って原爆を投下し、戦後広島を現地調査したという老人が、TV局の招きで、広島原爆ドーム脇で、2人の被爆者と対話をした。しかしながら、なんとも噛みあわない対話であった。
被爆者達に対し、当時学者だったという彼は言う。
「原爆は一回の爆撃で済んだ。(東京のように)何度も爆撃せせずに済み、効果的である。」
「何故市民を攻撃したのかと恨むなら相手が違う、当時の日本政府を恨むべき。我々は『リメンバーパールハーバー』だ。(戦争を卑怯な形で始めたのは日本政府だろう。)」
被爆者代表が、「原爆のその悲惨さを直視して欲しい、二度と繰り返さないで欲しい」と訴えるのに対し、その米国人は「恨み」の事を強調して、お定まりの文句を唱えてしたり顔していた。

恨みを強調するとは学者のすることか。お粗末な人物を呼んだマスコミの愚かさを言っても仕方がない。でも、そのような人間が多くいる米国だからこそ、9.11テロの腹いせに「核開発しているかも」と言ってイラクに攻め込んだように見える。他国の政体をぶっ壊し、蹂躙し、劣化ウラン弾を撒き散らした暴挙が、つい最近行われたのだ。何かというと「核を使うぞ」と脅しをかけながら「核不拡散」などと言う、自分はしっかり核を握り振り回し、ウランを撒き散らし、他国に「核を持つな」と強権発動して恥じるところが無い。
そのうち、核テロという地獄が米国を襲ってもおかしくないと思うが、どうであろうか。その場合、今度は米国はどこにその鬱憤を向けるのだろうか。

そんな米国政府に喜々として従う日本政府は何であろうか。唯一の被爆国として、核兵器投下の悲惨さを訴え、廃絶を全世界に主張しなくて良いのか。
原爆は、まさに今、そしてこれからの問題である。

ブルーベリーとヒヨドリ、カナブン2005/08/07 09:22

収穫したブルーベリー
我が家の庭には植えて5年ほどたつブルーベリーがあって、日当たりや土が合ったらしく大きな株に成長、今年は特に豊作でびっしり実を付けた。毎朝、写真のようなてのひらに乗りきれないほどの実が収穫できる。
黒い実なので、サクランボと違って大丈夫だろうと何もしないでいたら、ある朝、ヒヨドリが何と3羽も集まって食事している。そこで、あわてて鳥除けネットをかけた。考えてみれば、熟して黒くなる前にほんのり赤く色づくのだ、鳥はそれを見逃すはずがない。でも、赤い実は未熟で不味いはず、その後1~2度飛来するのを見たが、サクランボと違って簡単に諦めてくれたようだ。
ところがもう一つ大敵がいる、カナブンだ。写真のブルーベリーのいくつかは傷つき、中には白く囓られた跡生々しいものもある。これは、皆、カナブンの囓った跡である。カナブンは、実を囓るとそこに取り付いてチューチュー汁を吸う。これに対しては、見つけ次第、一匹一匹捕まえて駆除するしかない、毎朝2-3匹はいる。
カナブンは、ブルーベリーだけでなく、梅、サクランボ、紅葉、椿なども寄って集ってムシャムシャと葉を食べる。2-3匹どころかワンサと集ってなのだから、ほっておくとたちまち木は丸裸となる、毎朝駆除しなくてはならない。梅の実を収穫したあたりからだから、もう2ヶ月近く毎朝20匹近い数を駆除している。

駆除したカナブンは累計でどれほどになるのだろうか、サクランボでは事故でヒヨドリが逝った。収穫とは、何と罪深いことか。

敗戦記念日、そして戦後60年2005/08/15 20:24

今日敗戦記念日を迎え、戦後60年だという。

それに関し、マニラで開かれた学会の国際地域シンポジウムを思い出す。フィリピンの学会が主催で、日本、タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポールなどからの参加だったが、打ち上げには皆で日本軍ゆかりの記念公園、マニラ湾の入り口に浮かぶコレヒドール島に出かけた(写真)。極東の国々では、国家の根深いところに日本軍侵攻の記憶が核として存在している。記念公園は、日本撃退のモニュメントであると同時に、日本にとっての英霊の墓標でもある。
中国や朝鮮半島では、日本に対する恨みを教育しているという。太平洋戦争で日本が極東諸国に与えた傷跡は今でも血を滴らせ、現地を訪れる我々の眼前に姿を現す。

国内ではどうであろうか、やはり、アジアの諸国が主張するように、日本は太平洋戦争の歴史的位置付けを変えてきたように思える。それが目立ち始めたのは、遠く、1970年代に遡る。
近頃は、日本を代表する知識人であると自負する某有名人が、南京虐殺など中国人流の誇大表現だと言ってはばからない。けれども、私は、南京大虐殺は本や記録でいくらでも見てきたのだし、それら全てをどうして否定できるのか、首を傾けてしまう。
私の高校時代、大学に行くのに世界史を選択しないのは、トイレに入るのにトレぺを忘れるのと同じだ、なんて言いあっていたが、最近はどうなのだろうか。若者は本を読んだり資料にあたったりすることが少ないという、心配するところである。
日本は確かに変わった。自分の選択を託す政党は今や無く、一度選ばれたあとはその時の弾みで何をするか判らない、お任せください政党ばかりが目に付く。平和憲法は汚され尽くし、皆がしたり顔して自分の事ばかりしゃべっている。

極東諸国は、いつ日本が軍事的脅威を振りかざすかもしれないと戦々恐々である。極東諸国がまとまって他に拮抗できる経済圏を形成しなければならないのに、日本軍の亡霊がその動きを封じている。

戦争が何をもたらしたか。迫害、虐待、抹殺・・・まともなものが姿を消し、ろくでもないものがはびこる。
その悲惨さを直視し、二度と行わせてはならない。

立山登山2005/08/31 06:39

この日曜に娘と立山に登ってきた。

前々から一度行きたかったのだが、車で富山に行く機会があってようやく実現した。扇沢に駐車し、トロリーバス、ケーブルカー、ロープーウェーなどを乗り継いぎ、途中大スケールの黒部ダム放水などを堪能しながら室堂に出、そこから一挙に立山の頂上(左写真中央の雄山3003m、その少し左大汝山3015m)を往復した。
8月も末であるのに、室堂平の明るくどこまでも広がるお花畑の見事さは格別であった。昔、山に登り始めた頃の北アルプスはまさに花で溢れかえっていたが、それを彷彿とさせる素晴らしさで、いつまでもこのままであって欲しい、と思う。

幸運なことに視界にも恵まれ、山の上からは剱、白馬、槍、穂高など、アルプスの名山の大パノラマを満喫できた。

帰りは日本一高所にあるというみくりが池温泉(写真上中央の池の上端)に浸かって戻った。やはり山は素晴らしい。