イナゴの甘露煮2005/11/30 21:02

イナゴの甘露煮を食べる
この写真、何を隠そう、娘がイナゴの甘露煮にかじりついたところ。
娘に続いてわたしも食べたが、適度なカリカイリ感もあり、なかなか乙な味であった。
イナゴの佃煮、名前は聞いていたがなかなかお目にかかれなかった、大雄山最乗寺は茶屋での嬉しい初体験、これも天狗様の御利益か。

その食感から、小学校の昔、長野出身の友達と一緒に足長蜂の巣を取って、中の幼虫を油で炒めて食べたのを想い出した。芋虫姿はクリーミーだが、白い蜂姿になっているのはそんなカリカリ感があった。
うちの隣の犬や猫はカナブンを好んで捕まえて食べる。中国青島のヤオハンデパートでは、食品売場の中に、生きたコガネムシや芋虫がうごめく容器の並ぶコーナーがあった。
昆虫、カルシウムたっぷりだし、栄養的にも良いのではないか。これからの食糧危機、ゴキブリを増殖して蛋白源にする時代が来るかもしれない。

そんな妄想に捕らわれているうちに娘が言った。
「おみやげに買って帰って、みんなに食べさせちゃおう。刻んだのを食べてもらったあとで、種明かししちゃおう」
結果は、けっこう受けたそうだ。

紅葉の穴場、大雄山最乗寺2005/11/23 21:59

大雄山最乗寺の紅葉
今日は休みの勤労感謝の日、薬で抑えたからか後を曳く咽の腫れが気になって、大人しくしているつもりであった。でも朝あまりに天気が良かったので、娘に誘われて、箱根は足柄山の麓の大雄山最乗寺に、紅葉を愛でに4人でドライブに出かけた。
入り口の門から延々と続く参道の森の中を車でひたすら登ってゆくと、駐車場渋滞もなく10:00前には境内に入ることができた。思いがけなくも杉の巨木に囲まれた壮大な伽藍、広がる御堂や庫裡の数々、そのそこここに大きく枝を広げた紅葉が一斉に色づいていた。人出もそこそこ、紅葉を愛でながら苔むした石畳や階段をそぞろに登ってゆくと10:30あたりからは鬱蒼とした杉の木立にホラ貝や太鼓の音が鳴り響き、天狗で名高い最乗寺ならではの雰囲気に包まれた。
奥の院への階段は合わせて350余段とか、杉の巨木茂る急峻の中を踊り場もなく一挙に登る長い階段は一興、登り切った奥の院から更に上へ道が続いていたがそれはやめた。
帰りは、往きに見かけた「麦トロ定食」の看板につられて参道途中の森の中の一軒家、16丁目茶屋に入った。土産物の並んだ店先から昔懐かしいガラス戸を開けて入ると、こじんまりと土間のテーブル席と畳の座敷席、掘り炬燵まである。茶屋の老夫婦に勧められるままに4人が掘り炬燵を囲むとなんともレトロな雰囲気、のんびり出てきた昔懐かしい味の麦トロ定食を食べていると昭和の田舎に帰ったような気分になった。お茶うけの佃煮にイナゴの甘露煮を見つけて娘は大喜び、土産に買ったが、なんとその茶屋自家製のものだった。
片道1時間で出発から帰宅まで4時間、でも、なんとも楽しく夢のような4時間だった。
紅葉の穴場は大雄山最乗寺、16丁目茶屋の麦トロ・イナゴの甘露煮も超お勧め。(これを見た娘から「穴場を教えるなんて」と叱られた。)

女郎蜘蛛に思うこと2005/10/13 21:29

庭の女郎蜘蛛
この数年、周囲では、一面に広がっていた松林がどんどんマンションや戸建て住宅に変わりつつある。結果、我が小庭には虫たちが集まり、それを食する食肉昆虫たちが集まり、さらに鳥たちが集まる、その鳥を狙って猫までも我が物顔に出入りする。先日も赤とんぼが群れて飛び交ったばかりである。
私はというと、庭に立ち入るやいなや蚊の大群に襲われてしまう、もちろん家族はそれを知っているから庭には見向きもしない。小さな昆虫王国である。
そんな中で、この季節になると目立ってくるのが女郎蜘蛛だ。その見事なほどに極彩色に彩られた姿は女郎という名に恥じない。不思議なことに、女郎蜘蛛の巣のほとんどは、大きなメスと小さなオス2匹で一つの巣を守っている。オイオイ女郎蜘蛛とはあんまりだ、オシドリ蜘蛛とでも名付けるべきでは、なんて思ったりもする。それにしてもよほど獲物が豊富なのだろう見事なほどに大きなメス蜘蛛であるのに、オス蜘蛛の貧弱さ、人の世と引き比べて同情を禁じ得ない。
思い浮かぶのがこんな話だ、「セックスを終えるとメス蜘蛛はオス蜘蛛をムシャムシャと食べてしまう、その栄養を糧にメスは産卵し、やがて命を終える」何とも激しい生き方。

そんな思いに耽っていたが、写真を撮って気付いた。見たらオス蜘蛛はまだ他に2匹、計3匹もいた。オシドリ蜘蛛の前言撤回、さすが女郎蜘蛛。

ブルーベリーとヒヨドリ、カナブン2005/08/07 09:22

収穫したブルーベリー
我が家の庭には植えて5年ほどたつブルーベリーがあって、日当たりや土が合ったらしく大きな株に成長、今年は特に豊作でびっしり実を付けた。毎朝、写真のようなてのひらに乗りきれないほどの実が収穫できる。
黒い実なので、サクランボと違って大丈夫だろうと何もしないでいたら、ある朝、ヒヨドリが何と3羽も集まって食事している。そこで、あわてて鳥除けネットをかけた。考えてみれば、熟して黒くなる前にほんのり赤く色づくのだ、鳥はそれを見逃すはずがない。でも、赤い実は未熟で不味いはず、その後1~2度飛来するのを見たが、サクランボと違って簡単に諦めてくれたようだ。
ところがもう一つ大敵がいる、カナブンだ。写真のブルーベリーのいくつかは傷つき、中には白く囓られた跡生々しいものもある。これは、皆、カナブンの囓った跡である。カナブンは、実を囓るとそこに取り付いてチューチュー汁を吸う。これに対しては、見つけ次第、一匹一匹捕まえて駆除するしかない、毎朝2-3匹はいる。
カナブンは、ブルーベリーだけでなく、梅、サクランボ、紅葉、椿なども寄って集ってムシャムシャと葉を食べる。2-3匹どころかワンサと集ってなのだから、ほっておくとたちまち木は丸裸となる、毎朝駆除しなくてはならない。梅の実を収穫したあたりからだから、もう2ヶ月近く毎朝20匹近い数を駆除している。

駆除したカナブンは累計でどれほどになるのだろうか、サクランボでは事故でヒヨドリが逝った。収穫とは、何と罪深いことか。

地引き網2005/06/19 10:08

そういえば、湘南海岸の地引き網も、ずいぶん変わってしまった。
地引き網は、もうほとんどが観光地引き網である。ジョギング中によく見かけるが、会社や自治会のグループらしいみんなで楽しく地引き網を引くと小さなポリバケツに一杯ほど魚が漁れる。それを浜で漁師さんが他に用意した具とともに天麩羅に揚げてくれる、揚げたての天麩羅やなんかと、ビール片手にワイワイ、とても楽しそうである。
わたしの小さい頃、もちろん観光地引き網など無い。漁師のおじさんおばさん達が黙々と地引き網を引く。子供達は勝手に加わってお手伝いする。漁れた魚は2~3m3ほどもあって、大きな容器に分けて軽トラック2-3台で運ぶほどだった。子供達は、たまに袋一杯の魚を分けてもらう事もある、でも、子供達の本当の目論見は、漁師さん達が売り物にならなくて捨てる、サメやエイ、フグ、カニや変わった魚なのである。もちろん生きていて、フグなどつついてプッと膨らませては喜んだり、小さなサメが砂の上でのたうち回るのを見て心躍らせるのだった。きっと、観光地引き網でも、子供達は同じような体験をしているのだと思う。
気になる漁獲量だが、本気になって網を引けば昔のように大漁なのかもしれない。それとも魚が減ってしまったのか、わたしには判らない。

漁と海鳥2005/06/14 22:19

兄に誘われて、この小さなクルーザーで、トローリングに出かけたことがある。
ハーバーから朝早くエンジンを駆って海に出ると、そこにはもう漁船がたくさんのんびりと浮かんでいて、兄も舵をとりながら潜航板やらルアーやらを準備している。空は青く、海は穏やかで、のんびり海鳥達があちこちに浮かんでいる。
と、急に、何百という海鳥が一斉に飛び立って海の一点に向けて飛び始めた、するとその同じ場所に向けて何十隻もの漁船も一斉に全速力で走り始めた。もちろん、私たちもトローリングの仕掛けを海に何本も投げ込んでエンジン全開で同じ場所に急いだ。
径100mもない領域はまさに戦場、海鳥はひっきりなしに海中にダイビング、釣った魚を外しては仕掛けをまた海に放り込む漁師達を乗せた漁船が沢山右往左往、瞬く間にクルーザーのコックピットに置いていた60リットルポリバケツに釣ったサバがたまってゆく。と、また急にパタッと釣れなくなる、鳥も船も手持ちぶたさに時間を過ごす。と、また鳥どもが飛び立って・・・

鰯の大群と、それを追う海鳥とサバやカツオ、イナダ、それを釣る漁師達、豊かで生な世界が繰り広げられていた、30年ほど前の事だ。
今はどれほど釣れるのだろうか、休日にはよく海沿いをジョギングしているが、海鳥や漁船のバトルを見なくなって久しい。クルーザーの上で捌いた刺身のコリコリとした歯ごたえはもう味わえない。

料理は化学工学?2005/05/30 01:33

料理と言えば、実は休日、よく家族の分まで自分で創って楽しむ。
そもそも、車で食材を買い出しに行き始めて、食べたいものが目にとまると買い込んで調理することから始まったのだが、これが実に楽しい。
最近は、前菜、スープ、主菜、デザートとコース仕立てで、トータルアレンジを組み立てたり、変わった食材や眼に美味しいもの香りを生かした料理など、いろいろ考え出すと尽きることがない。

会社でたまたま料理をする話が出た。意外なことに、化学工学出身の先輩も料理をよくするという。考えれば、確かに、実験器具を洗ったり実験の段取りをしたりプロセスを工夫したり、化学実験は料理そのものである。

何のことはない、学生時代にたたき込まれた化学実験が習い性となり、料理に姿を変えているだけなのかもしれない。

タイミング2005/05/26 05:50

遊びで思い出したが、なんでも、タイミングが重要である。
最近、オーベルジュブランシュ
http://www.auberge-jp.com/
で素晴らしい料理を堪能したが、何がすばらしいと言って、料理の出てくるタイミングが絶妙なのである。
おなじことでも、タイミングによって価値がまったく変わってしまう。例えば好意が悪意にとられたりなど、よくあることである。わたしも反省して、タイミングに気をつかわねば。

朝はヨーグルト2005/05/18 06:09

私は、毎朝たっぷり自家製ヨーグルトを食べている。
自家製と言っても、1リットルの牛乳パックに市販のヨーグルトを一匙ばかり加えて一晩寝かせただけのもの。ちょうどお風呂の湯加減位に暖めてあげるのがコツで、牛乳を電子レンジに3分+2分ほどかけて暖めてから予め少量の牛乳で溶いたヨーグルトを加える、保温にはぬるま湯をたっぷり入れた大鍋にその牛乳パックを浮かべ、新聞紙で包んで保温するだけ。
実は、3年ほど前、娘が大学からカスピ海ヨーグルトを大学から持ってきた。それで1年半ほど自家製ヨーグルトとして食していた。こちらのほうは、冬以外は、常温で立派にヨーグルトになってくれる。けれども、最初の半年あたりは、牛乳パックの壁にこびり付いたところからチーズっぽい香りがしていたのに、何時の頃からかその香りが消えてしまって。大事をとって市販ヨーグルトに切り替えた。
なかなか面白いのが、ちょっとしたことで発酵状態が違ってくること。たとえば種にする市販ヨーグルトの種類、牛乳の種類やメーカでかなり差が出る。低めの温度ほど酸っぱさが抑えられるとか、いろいろ試すのは楽しく、醸造家になった気分を味わえる。出来具合は、口に含んで味と香りをみるのが一番、人間の味覚嗅覚ほど高感度のセンサーは無い。
毎日たっぷりヨーグルトを摂るので、胃の調子が良い、快便、それにCaも摂れるので性格が穏やかになってきたようでもある。また、低脂肪乳でも美味しくいただけるのは嬉しい。
ところで、家族にはいくら勧めても食べてくれない、Tom製ヨーグルトはイマイチ信用が無いようだ。

品川に来る牛2005/05/16 08:33

知っているかたは知っているのだが、品川インターシティーの隣に都の食肉市場がある。今日も通勤の際見かけたが、牛さん達を沢山乗せたトレーラーが生体車通路に入って行く。そんな牛さんとは、たまに信号待ちの際など眼が会ったりする。
豚は騒ぐこともあるようだが、牛は皆大きなつぶらな瞳で穏やかな表情をして運ばれてゆく、生体と呼ばれるのを識ることも無く。壮麗な高層ビル群の中にそのような場所があるのは、象徴的ではある。
聞いた話だが、畜産科の学生は、自分で育てた家畜を自ら処理しなければならないとか。ところが、一般の人は、肉となった家畜がどのように生きたかなど想像もしない。食うという行為を直視しなくては、生きる実相は見えないにもかかわらず。