麻生首相の大罪2009/08/23 07:23

我が家のベランダから見える松下政経塾の塔
我が家のすぐ近くには、松下政経塾がある。松下幸之助氏が、日本の政治の将来を考え、逸材を育てるために創ったという。自民にも民主にも、既に10数名を数える卒塾生国会議員を数え、民主党元岡田総裁もその一人だという。

ところで、実際の国政はどうか。財政再建をマニフェストに掲げて選挙に圧勝した小泉総裁率いる自民が政権を取った。それ以来、長々と自民党政権が続いている。総裁はバンバン代替わりし、今は麻生総裁=首相である。
この、麻生首相になって、異変が起こった。財政再建をマニフェストに掲げた政党が、何と国の資産を大盤振る舞いしてしまったのだ。自民党にとって、国民への財政再建の約束はどうなってしまったのか、まるっきり逆、とんでもない約束破りである。

確かに「景気が悪化した、そのために財政再建から方針転換が必要」それなら、議会を解散し、景気対策というマニフェストのもとに総選挙を行い、国民に問えば済んだ話である。それを選挙に負ける可能性があるからといって行わないという判断は、間違っている。
クラウンを買う人間にも税金の補助を付けるような大盤振る舞い、何を考えているのだろうか。
自分の希望する政治を実現しようとする政党に票を入れる、それが、これまで延々と積み上げられてきた現政治制度の形、政党政治であり、国民の政治へ関わる方法である。それが、真逆の政策をされてしまった。
国民主権、そのための選挙制度、議会制度ではないか。麻生首相は、政党政治をないがしろにしてしまった。この罪は大きすぎるとしか言いようがない。

来週30日には、 「待ちに待った」 衆議院選挙日である。財政再建というので選ばれたにもかかわらず、湯水のごとく税金を使いまくった、そんな自民党に投票する人がいれば、たいしたものである。
自民党衆議院議員には、妻の親戚もいるが、麻生総裁を選んだ罪はかぶらねばならない。選挙惨敗の鉄槌が自民党に下っても、あたりまえである。

沢に迷い込んでしまった行者小屋への道2009/08/09 14:32

左は行者小屋への道筋の沢ででくわした滝、右は赤岳温泉からの整備された道
美濃戸口の赤岳小屋駐車場から行者小屋まで、2時間かかってしまった。実は、恥ずかしながら、沢に迷い込んでしまったためである。

行者小屋までの道はそこそこ広くしっかりしている。それなのに迷い込んでしまったのは、朝早い暗い中ヘッドランプを頼りの道行きであったこと、何回か沢とクロスしていること、その2つの理由による。
この道は、すいぶん大勢の登山者がいるはずであるが、沢には一つも橋が無い。沢を渡る度に道を探さねばならなかったし、のっけから渡渉があるので登山靴の中は水浸しになってしまった。
2つほどパーティーを抜いたところで、「迷込が発生しています、黄色いテープが目印です」という看板を見た。そのすぐ後あたりだったと思う、いつの間にか、か細い踏み跡しか無くなっている。
地図を見ると、登山道は行者小屋の近くまで沢沿いに続いているので、そのうち又登山道に出るだろうとそのまま先に進んでゆく事にした。すると、かなり経ったところで、写真左の滝に出てしまった。「これは高巻くしかない」と、か細い踏み跡を頼りに上方に道を取った。それが良かった、道に戻ることができた。
獣道では無く、踏み跡がそこそこあるというのは、案外と私のような沢に迷い込む登山者が多いためであろう。原生林の、倒木が幾重にも重なり苔生した森林の中は、人が簡単に通れるものでは無い。
帰りに通った赤岳鉱泉から美濃戸口への道は、格段に整備されていて、写真右のように立派である、これはこれで面白味に欠けるのだが。

山に登らずに帰る判断2009/07/28 06:47

車から見た上が崩れた積乱雲
今週は一週間会社の夏休み、けれど家に居る。
実は、今日は穂高岳山荘のテント場で朝を迎えている計画であった。

上の雑な絵は、7月26日の夕刻、中央高速から見た積乱雲、山々に覆い被さるように至る所雲が湧き起こり、頂部は上空の流れに乱されて平たく崩れている。それほどまで高く発達する雷雲に、一抹の不安を感じていた。
上高地釜トンネル入り口のゲートには、脇に人の通る隙間があることを確かめて、20時過ぎに、焼岳新中の湯ルート登山口駐車場(中の湯温泉旅館の上、10号カーブと11号カーブの丁度中間あたり)に着いた。計画では、ここで仮寝して朝4時前に出発、ゲートが開く5時前に、大正池まで歩いてしまう予定であった。
ところが、雨が激しく降ったり小降りになったりで、とても延々と歩けるような状況では無い。また、穂高の岩場を雨の中登る自信も無い。そもそも、今回の山行きは、青い空に聳える穂高岳をひたすら目指し大正池から延々と上り詰めようという、15年ほど前に抱いた夢の実行であるはずのものであった。そこで、夜中の2時半に「今回は穂高はやらない」と決断した。
代わりに、天候の回復を待って、深田久弥氏の百名山の一つに挙げられている笠ヶ岳2898mをやることにした。雨で危険度を増す岩場も無く、新穂高温泉手前の大きな無料駐車場から笠新道経由で行けば、前夜発一泊二日に丁度良いスケールでもある。そんな理由からだった。
3時半に無料駐車場に着いたが、雨の激しさは増すばかりで霧も出てきた。発達した積乱雲のイメージも覆いかぶさり、視界の得られぬ雨中登山はリスクに合わないと判断、4時過ぎそこを出発して帰路に着いた。

帰路では、ずいぶん天気が良く、後ろ髪を引かれる思いであった。
家に着き、インターネットで長野県内のあちこちに雷、豪雨、洪水などの注意報が出ていることを知った、また、28日上高地は、晴れの予想が雨に変わっていることも確認した。
はるばる片道300km近いドライブをして、山に登らず何もせず帰ってきた判断は、間違ってはいなかったと考える。

3人の山仲間に同行者を募ったが、日程が合わなかったために単独行となってしまった。そのため、自分だけの考えで止めることができた。同行者がいれば、「全く何もしないで戻る」という判断は、なかなか出来なかったかも知れない。

登山ツァーに思うこと2009/07/25 01:30

権現岳より、左から阿弥陀岳、硫黄岳、横岳、赤岳
この登山で、異様なものを見かけた。
中高年の登山ツァーである。
権現岳に着いた頃、ポツポツと雨が降り始めた。見るとはるか下の三ッ頭に、2~30名の団体が居る。
50分ほど下って三ッ頭に着いたところ、なんとその団体がまだいて、何人か議論している。挨拶をしても、なかなか道を空けようともせず、登山道をふさぐようにたむろしている。やがて、雨もたいしたことも無くなったためか、団体は登っていった。
皆新しそうなカラフルな雨具を身につけてはいるが、どうみてもほとんどが中高年、山のマナーも乏しいし集団としての規律も無い。観音平に戻ると、大型観光バスが駐車している。なるほど、あの団体は我々と逆コースを行く登山ツァーだったのか、と納得した。

しかし、何故はじめに延々とつらい三ッ頭までの登りをさせるのか。
何故ギボシの岩場を下るのか、岩場は登るより下るほうが危険なのに。
昼を過ぎてもまだこれからが本格的な登りに入るのか、何故早朝出発し、昼過ぎには目的地に着くという登山の鉄則を守らないのか。
理解に苦しむところである、もしかしたら、山小屋を利用して、赤岳のほうに抜ける計画なのかもしれない。

そんな矢先、トムラウシの悲報を知った。

私には、経験も能力もマチマチの人達を募って、大勢で山に登ることなど、恐ろしくてできない。
日頃の鍛錬あればこその登山と思うし、メンバーの体調や山を熟知していればこそのガイドではないかと考える。

娘と八ヶ岳日帰り登山2009/07/25 00:21

編笠山山頂より、上は南アルプス、下は八ヶ岳の嶺々
7月12日、櫛形山からまだ一週間しか経っていないが、娘と急遽話がまとまり、八ヶ岳に日帰り登山してきた。
「日帰り登山でアルペン気分を満喫したい」と言う。そこで、観音平に車を置き、編笠山から権現岳、三ッ頭と、ぐるっと一周することにした。

まだ梅雨で、雨を覚悟して登ったが、権現岳から三ッ頭までわずかに降られたものの大したこともなく、編笠山から権現岳にかけて、彼方までの眺望を満喫できた。編笠山の原生林は見事であった。権現岳手前のギボシあたりは楽しい鎖場続きで、高山植物も咲き乱れて最高、写真撮りまくりでずいぶん時間をかけてしまった。

それにしても娘の速いこと、登山地図のコースタイムの0.7掛位で登る私が負けじと頑張らねばならなかった、三ッ頭から下ってササスベリあたりでは、ブヨが集ってくるからとピュンピュン先を行くので大変、やはり若さには敵わない。そこらあたりは登山地図のコースタイムの0.4掛!で歩き抜いてしまった。
帰りに、小淵沢IC近くの道の駅/つたの湯の温泉露天風呂に浸かり、汗を流して帰路についた。つたの湯の泉質はやわらかく、娘も大満足であった。

 6:30 観音平1560m出発
 7:45 押手川分岐(素晴らしい原生林)
 8:50 編笠山山頂2524m(360°の展望)
 9:30 青年小屋2380m
 10:00 ノロシバ2530m(ここらからギボシに続く岩場、お花畑)
 11:10 権現岳2715m(山頂は片側が切り立った岩、剣が天に向けて立つ)
 12:00 三ッ頭2580m
 12:40 木戸口公園2240m
 13:30 八ヶ岳神社分岐1580m(八ヶ岳横断歩道に出る)
 13:50 観音平帰着

湘南平からの富士2009/01/03 16:42

湘南平からの富士
湘南平には見晴台があって、360度の眺望を楽しむことができる。
この正月3日は空気が澄んで、箱根や伊豆半島~大島や相模灘~関東平野~丹沢山塊、そして富士がくっきり手に取るように眺めることができた。

このような、澄んだ心で一年過ごそう、そんな気持ちを新たにした。

高来神社に初詣2009/01/03 15:55

大磯高麗の高来神社
今朝あまりにも天気が良いので、初ジョギングした。
箱根駅伝の熱戦に刺激されて、家から西に11kmほどある大磯町高麗の高来神社まで脚を伸ばして初詣し、そこから男坂を登って湘南平まで初登りしてきた。

高来神社は神武天皇の時代の創建という話もあるという古い神社、今年厄年の私にとって、是非とも霊験あらたかであってほしい。

高麗は高句麗の滅亡により日本に帰化した王族が移り住んだ地とか、そんな古の人々に思いを馳せるのも愉しい。

皇海山2008/10/19 01:12

庚申山から、朝日を浴びる皇海山
10月11日から12日にかけて、足尾近くの銀山平から庚申山、鋸山を経て2,144mの皇海山に登ってきた、標高差1,300mほど。
皇海山、深田久弥先生の百名山の一つであるが、なかなか手強い。3人で登ったのだが、企画してくれたリーダーは、今回3回目にしてようやく皇海山登頂の念願を果たした。
その困難さは、よく踏まれていない上にとても時間がかかるところにある。道中泊まれるところは立派ではあるが無人小屋の庚申山荘ただ一つ。深い原生林、巨岩に這い付くような鎖場や梯子、それらに加えて、登山道のあちこちが背丈ほどの熊笹に埋め尽くされている・・・
60歳前後のわれわれは、11日に庚申山荘に入り、翌朝4時からヘッドランプを頼りに出発した。それでも途中何度か道を間違えたりで、銀山平に続く林道に戻れたのは夜の帳が降りてきた18時、それから更に延々と月明かりの林道を2時間かけて車に戻った。休みながらではあるが、実に16時間もの行軍であった。

最近は、銀山平からでなく、群馬県側の不動沢から一気に皇海山登頂を目指すルートが出来ていて、どうもそちらのほうが多数派になっている。
実際に登ってみると、群馬県側からでは、何故百名山なのか理解不能と推測する。巨岩を縫って登って行く庚申山、巨大な鋸の歯の上を忠実にアップダウンして辿り着く鋸山、それら無しには皇海山の魅力は解らない。そのような登山の行程で、常に鷹揚と独立した山容の存在感こその名山である。

今回の山で、いかに登山は道程が大切かを思った。

モデルと舞踊家2008/10/19 00:51

舞踊家
デッサン会に通っていて、何回か、舞踊家のモデルを描く機会に恵まれた。その時は今考えると、私も、やはり真剣勝負的な緊張感に高揚してデッサンを描いた。
彼等は、自分を見せると言うことが、まさに彼等の表現となっている。
絵を描くことも表現、だから双方、ある種の緊張関係が生まれるのだろう、コラボレーションが成立しているのかも知れない、いつもなかなかの絵が描ける。
作為ではなく、自分で言うのは何だけれど、良い作品が生まれる。

彼女は、この夏、カメラマンと共にイギリスに渡り、自分なりの着物(和服)を着てストリートパフォーマンスしたとか。

倒木だらけの伊那荒倉岳や横川岳樹林帯2008/08/16 10:37

上:伊那荒倉岳近くの登山道 下:倒木の目立つ横川岳
仙丈ヶ岳と北岳の山行、もう一つ苦労したことがあった。倒木である。

写真上は実は登山道である。倒木だらけで、重い大きなザックをかつぎながら、またいだり乗り越えたり、それができないと四つん這いになってハイハイしながらくぐり抜けねばならない。
伊那荒倉岳や横川岳のまわりが特に酷かった。どうも、今年の春の台風でやられたようである。
大仙丈ヶ岳で南から縦走してくる2人連れに、「フィールドアスレチックもどき」と聞かされていたが、まさによく言ったものである。

山小屋のかたがたが苦心されたのだろう、伊那荒倉岳まわりはまだ荒っぽい倒木処理がなされているだけであったが、横川岳のまわりは迂回路が何とか切り開かれていて、ロープも所々張ってあり、助かった。
おかげで、ガイド地図並みのタイムでこの倒木帯を抜けて両俣小屋に辿り着くことができた。

山行は、「登山道を整備してくれる方々の努力があってはじめて可能である」ことをつくづく思う。