ヒッチハイカー哲学 ― 2006/05/02 06:35
4月30日に、八ヶ岳の縞枯山に登ってきた。
道筋に点在するお地蔵様に惹かれて奥蓼科温泉郷への道を登り、それから国道299号線に転じて麦草峠に向かった。するとまもなく、年配のハイカーがヒッチハイクするのが眼に入った。
カラフルで洒落た着こなし、なかなかに素敵な笑顔の外人で、日本語も上手い。八ヶ岳の穴場情報など話もそこそこに弾んで、予定の麦草峠手前の無料駐車場に着いた。そこで、別れ際に、彼から封筒を渡された。寸謝でも入っているのかと固辞したところ、彼の哲学を記したパンフだというので、ありがたく受け取った。
それには、彼が蓼科に別荘を持ち、60歳近いスウェーデン人であると自己紹介してあった。人との出会いと車公害低減のために、蓼科ではヒッチハイクを楽しんでいるとか。一期一会と書かれていた。皆様も、彼を見かけたら、是非乗せて一期一会を楽しむべき。
じつは私も、山の帰りに、3回ほど、見知らぬ人に乗せてもらった事がある。
最初は確か高校3年の初冬、クラスメート4名で、湯河原の幕山から獣道に迷い込み、箱根ターンパイクに辿り着いたところで、軽トラックの植木屋さんが見かねて荷台に乗せてくれた。
次が大学時代、美術部仲間3名で、麦草峠から1泊2日で八ヶ岳を縦走、網笠山に抜けて小淵沢に向かう途中、「距離があるのに大変でしょう」と、花屋さんが声をかけてくれた。
あと、やはり学生時代、妹と霧島に行き、えびの高原に妹を残して韓国岳を登り、大浪池に抜けた。バスを待っていたところ、親切な中年御夫婦の乗用車が拾って、えびの高原まで運んでくれた。
それらは、皆、ヒッチハイクをした訳ではないが、乗せてくれた親切心は何物にも代え難い、よき想い出である。
道筋に点在するお地蔵様に惹かれて奥蓼科温泉郷への道を登り、それから国道299号線に転じて麦草峠に向かった。するとまもなく、年配のハイカーがヒッチハイクするのが眼に入った。
カラフルで洒落た着こなし、なかなかに素敵な笑顔の外人で、日本語も上手い。八ヶ岳の穴場情報など話もそこそこに弾んで、予定の麦草峠手前の無料駐車場に着いた。そこで、別れ際に、彼から封筒を渡された。寸謝でも入っているのかと固辞したところ、彼の哲学を記したパンフだというので、ありがたく受け取った。
それには、彼が蓼科に別荘を持ち、60歳近いスウェーデン人であると自己紹介してあった。人との出会いと車公害低減のために、蓼科ではヒッチハイクを楽しんでいるとか。一期一会と書かれていた。皆様も、彼を見かけたら、是非乗せて一期一会を楽しむべき。
じつは私も、山の帰りに、3回ほど、見知らぬ人に乗せてもらった事がある。
最初は確か高校3年の初冬、クラスメート4名で、湯河原の幕山から獣道に迷い込み、箱根ターンパイクに辿り着いたところで、軽トラックの植木屋さんが見かねて荷台に乗せてくれた。
次が大学時代、美術部仲間3名で、麦草峠から1泊2日で八ヶ岳を縦走、網笠山に抜けて小淵沢に向かう途中、「距離があるのに大変でしょう」と、花屋さんが声をかけてくれた。
あと、やはり学生時代、妹と霧島に行き、えびの高原に妹を残して韓国岳を登り、大浪池に抜けた。バスを待っていたところ、親切な中年御夫婦の乗用車が拾って、えびの高原まで運んでくれた。
それらは、皆、ヒッチハイクをした訳ではないが、乗せてくれた親切心は何物にも代え難い、よき想い出である。
雪の縞枯山、雨池あたり ― 2006/05/06 05:16
4月30日の縞枯山だが、草麦峠あたりはまだ1m近い積雪、それでもそこそこに硬く、上を歩けることから登ることに決定。車を草麦峠にほど近い無料駐車場に置き、草麦峠-茶臼山-縞枯山-雨池-草麦峠のコースを取った。
一面の厚い雪のため歩きやすく、なだらかな山で雪崩の心配も無い。ステップを切りながら登り、ズーズーと滑りながら下り、好天に恵まれて3時間ほどで一周した。
縞状に立ち枯れの木や落葉樹が並ぶ景観はなるほど縞枯山、雪原の中に水を含んで青くただずむ雨池もなかなかのもの、雨池周りや森林の雪原を好き勝手に進むのも楽しい。
そんな中、靴紐を締め直そうとかがむと、小さなシミシミという音がそこら中から湧いているのに気づいた。木漏れ日を浴びて輝く雪が、融ける際に発する音。雪の表面には、樹木の種が一面に落ちている。
森林の、春を迎えた喜びが、あたり一面に満ちあふれていた。
一面の厚い雪のため歩きやすく、なだらかな山で雪崩の心配も無い。ステップを切りながら登り、ズーズーと滑りながら下り、好天に恵まれて3時間ほどで一周した。
縞状に立ち枯れの木や落葉樹が並ぶ景観はなるほど縞枯山、雪原の中に水を含んで青くただずむ雨池もなかなかのもの、雨池周りや森林の雪原を好き勝手に進むのも楽しい。
そんな中、靴紐を締め直そうとかがむと、小さなシミシミという音がそこら中から湧いているのに気づいた。木漏れ日を浴びて輝く雪が、融ける際に発する音。雪の表面には、樹木の種が一面に落ちている。
森林の、春を迎えた喜びが、あたり一面に満ちあふれていた。
ジョギングの楽しみ ― 2006/05/18 21:56
5月、ジョギングには最高の季節である。咲き乱れる花々を愛でながら爽やかな風の中を走る、生きる喜びを実感する。わたしは茅ヶ崎の海岸近くに住んでいるので、海岸沿いに伸びるサイクリングロードを走れるので尚更である。
ジョギングの効能は、体重抑制に留まらない。運動負荷に伴う心肺や足腰の発達がある。呼吸に伴う横隔膜の運動によって内臓全般に血流が行き渡る。新陳代謝が活性化し、過剰なエネルギーの在庫一掃によって肝臓機能も蘇る。それにも増して、気分のリフレッシュ効果は最高である。
風邪が長引いた時など、ジョギングをやることによって身体機能を高め、終止符を打たせたりもする。
ただ、やみくもにやっても、疲労が蓄積するのでは却って悪い。痔がひどくなったり膝を痛めたりすることもあった。
わたしは肝臓を鍛えようと33歳頃に始めたのがきっかけで、かれこれ20数年続けている。その間、トライアンドエラー、わたしなりのやり方を得てきた。
頻度は週1回、距離は10km
膝を痛めぬようクッションの良いジョギングシューズを使う
足の指先を痛めぬよう靴ひもをしっかり締める
始めは余裕を持って、ラストは思いっきり走る
ジョギング前にはストレッチング、後には20kgダンベルで筋トレ
運動後に安いドリンク剤とたっぷりの水分補給
といった類である。走り方も、いろいろとつかんだ。
重心の上下を避けるべく腰の高さを一定に保つ
歩幅は小さめとして足を動かすピッチを上げる
腕は肘をきちんと曲げて前後によく振る
呼吸は足の動きの1サイクルで吐気、次の1サイクルで呼気
足の裏全体を地面に付けるようにしてふくらはぎに負担をかけない
など。最近は、ドタドタでなくポンポンと跳ねるように脚を動かすのが良い事を発見し、喜んでいる。
ジョギングのおかげで通勤電車で立つ事が苦にならず、登山も余裕、食事は好き放題、何と言っても疲れ知らずの肉体と精神、皆様も始められてはいかが?
ジョギングの効能は、体重抑制に留まらない。運動負荷に伴う心肺や足腰の発達がある。呼吸に伴う横隔膜の運動によって内臓全般に血流が行き渡る。新陳代謝が活性化し、過剰なエネルギーの在庫一掃によって肝臓機能も蘇る。それにも増して、気分のリフレッシュ効果は最高である。
風邪が長引いた時など、ジョギングをやることによって身体機能を高め、終止符を打たせたりもする。
ただ、やみくもにやっても、疲労が蓄積するのでは却って悪い。痔がひどくなったり膝を痛めたりすることもあった。
わたしは肝臓を鍛えようと33歳頃に始めたのがきっかけで、かれこれ20数年続けている。その間、トライアンドエラー、わたしなりのやり方を得てきた。
頻度は週1回、距離は10km
膝を痛めぬようクッションの良いジョギングシューズを使う
足の指先を痛めぬよう靴ひもをしっかり締める
始めは余裕を持って、ラストは思いっきり走る
ジョギング前にはストレッチング、後には20kgダンベルで筋トレ
運動後に安いドリンク剤とたっぷりの水分補給
といった類である。走り方も、いろいろとつかんだ。
重心の上下を避けるべく腰の高さを一定に保つ
歩幅は小さめとして足を動かすピッチを上げる
腕は肘をきちんと曲げて前後によく振る
呼吸は足の動きの1サイクルで吐気、次の1サイクルで呼気
足の裏全体を地面に付けるようにしてふくらはぎに負担をかけない
など。最近は、ドタドタでなくポンポンと跳ねるように脚を動かすのが良い事を発見し、喜んでいる。
ジョギングのおかげで通勤電車で立つ事が苦にならず、登山も余裕、食事は好き放題、何と言っても疲れ知らずの肉体と精神、皆様も始められてはいかが?
人物画を描く楽しみ ― 2006/05/20 23:29
この2年半ほど、毎日曜アトリエに通って、人物画を描いてきた。
絵の題材には、静物、風景、抽象、神話等々いろいろあるが、何と言っても人物画が面白い。
絵を描く理由は人それぞれ違う。が、私は、想いの込められた絵に惹きつけられる。逆に言えば、想いのこもった絵が描けると、「絵を描いてよかった」と心底思える。だからこそ人物画、表情眼差しを描くことで、直接想いを描くことができるから。
想いを描くと言っても、自分の想いを直接吐き出すのでは上手くゆかない。やはり、モデルに自分の想いを仮託したほうが、飾ることなしに想いを現せるように思える。そんな訳で、描きたいモデルというのがあって、そんなモデルに出会うと嬉しいし、作品のできばえも良いように思う。
最近描いて気に入っているのが上の絵、時間が無くて1回100分のみで描きあげたが、あそこもここも描き込みたい思いがある一方で、これはこれで描くべきものが描けている、という思いもある。
もっとも、人物画は、モデルに引きずられて描くような所がある。絵のテーマが何であれ、描きたい想いが明確であれば、見応えのある絵が描けるように思う。
そのうち、悠然とした山岳の姿に想いを仮託して絵を描いてみたいと思う。
絵の題材には、静物、風景、抽象、神話等々いろいろあるが、何と言っても人物画が面白い。
絵を描く理由は人それぞれ違う。が、私は、想いの込められた絵に惹きつけられる。逆に言えば、想いのこもった絵が描けると、「絵を描いてよかった」と心底思える。だからこそ人物画、表情眼差しを描くことで、直接想いを描くことができるから。
想いを描くと言っても、自分の想いを直接吐き出すのでは上手くゆかない。やはり、モデルに自分の想いを仮託したほうが、飾ることなしに想いを現せるように思える。そんな訳で、描きたいモデルというのがあって、そんなモデルに出会うと嬉しいし、作品のできばえも良いように思う。
最近描いて気に入っているのが上の絵、時間が無くて1回100分のみで描きあげたが、あそこもここも描き込みたい思いがある一方で、これはこれで描くべきものが描けている、という思いもある。
もっとも、人物画は、モデルに引きずられて描くような所がある。絵のテーマが何であれ、描きたい想いが明確であれば、見応えのある絵が描けるように思う。
そのうち、悠然とした山岳の姿に想いを仮託して絵を描いてみたいと思う。
登山靴 ― 2006/05/21 13:28
新しく登山靴を買ったが、別に今までの登山靴が傷んだからではない。もう30数年使っているが、至極調子は良い。ただ、昨年娘と立山に登った際、娘に遅れをとってしまったことから、軽い登山靴に変える気になった。
上の写真は新旧登山靴、古いのは1,240gx2、これに対し、新しいのは540gx2、半分以下である。今まで、両足に1.2kg強の重りをくくりつけていたようなものだから、早くは歩けないのも当たり前だったか。
新しい登山靴は、Coleman製のゴアテックス防水である。踝あたりの作りがチャチでそのままでは痛くなるので、靴下を折り返して踝を保護しなければならないが、作りはしっかりしている。剥がれやすい靴底をカバーするよう前後の部分は上まで靴底のゴムを伸ばしてカバーしているし、靴紐を掛ける部分も、補強された皮にしっかり固定された金具である。
ただ、不安な所が無い訳ではない、靴底がVibramで無いことだ。Vibram底の靴は、やはり重たい。それに加えて、糸で縫いつける昔の登山靴と異なり、接着剤で貼っただけである、それでは剥がれてしまう。そんな理由からVibram底を諦めたのだが、Vibram底のあの岩肌とのなじみは捨てがたい。
新しい靴の箱を良く見ると、「濡れた岩は滑るので注意」と書いてある。世の中、なかなか上手くはゆかない。
上の写真は新旧登山靴、古いのは1,240gx2、これに対し、新しいのは540gx2、半分以下である。今まで、両足に1.2kg強の重りをくくりつけていたようなものだから、早くは歩けないのも当たり前だったか。
新しい登山靴は、Coleman製のゴアテックス防水である。踝あたりの作りがチャチでそのままでは痛くなるので、靴下を折り返して踝を保護しなければならないが、作りはしっかりしている。剥がれやすい靴底をカバーするよう前後の部分は上まで靴底のゴムを伸ばしてカバーしているし、靴紐を掛ける部分も、補強された皮にしっかり固定された金具である。
ただ、不安な所が無い訳ではない、靴底がVibramで無いことだ。Vibram底の靴は、やはり重たい。それに加えて、糸で縫いつける昔の登山靴と異なり、接着剤で貼っただけである、それでは剥がれてしまう。そんな理由からVibram底を諦めたのだが、Vibram底のあの岩肌とのなじみは捨てがたい。
新しい靴の箱を良く見ると、「濡れた岩は滑るので注意」と書いてある。世の中、なかなか上手くはゆかない。
ひなげし、雛罌粟、ポピー、やはりコクリコ ― 2006/05/24 22:22
今の季節、道のそこここにコクリコの花が揺れている。写真は近くの小学校の柵、こぼれるように咲くコクリコは見事という他ない。
この花、和名はひなげし、漢字で雛罌粟、英語でポピー。
でも、わたしにとって、これは仏名のコクリコ以外には考えられない。この花を見ると、どうしてもモネの絵の中に咲き乱れる姿を連想してしまうから。
若い頃、絵を見て、「へーっ、フランスではケシの花が雑草として生えているんだ」と、感心したものだから。
でも、数年前からか、このあたりでは、普通に道端に見かけるようになり、あっという間に凄く増えた。
今年、とうとう我が家の庭にも何本か出現した。
どうしようか悩んだあげく、抜いた。
小学校の柵に咲くコクリコ、たぶん誰かが、道端の種を摘んで蒔いたに違いない、と思っている。
この花、和名はひなげし、漢字で雛罌粟、英語でポピー。
でも、わたしにとって、これは仏名のコクリコ以外には考えられない。この花を見ると、どうしてもモネの絵の中に咲き乱れる姿を連想してしまうから。
若い頃、絵を見て、「へーっ、フランスではケシの花が雑草として生えているんだ」と、感心したものだから。
でも、数年前からか、このあたりでは、普通に道端に見かけるようになり、あっという間に凄く増えた。
今年、とうとう我が家の庭にも何本か出現した。
どうしようか悩んだあげく、抜いた。
小学校の柵に咲くコクリコ、たぶん誰かが、道端の種を摘んで蒔いたに違いない、と思っている。
燭台の2本のロウソク ― 2006/05/04 12:55
食事も終わる頃、御覧のように、片方はもう崩れて他方の1/3となり燃え尽きんとしている。
同じロウソクでも、燭台の微妙な傾きの違いで、こうも異なる経過を辿る。人の世も、またこのようなものかと、つい想ってしまった。
ちょっとした違い、それはやがて人を全く違うものへと導いてゆく。
けれども、共に我々の食事を照らし、共に捨てられてしまう、何の差も無いとも言える。むしろ短く燃え尽きなんとしたロウソクは、素敵にロウを滴らせて私どもを楽しませてくれた、と、言えなくもない。
by Tom [言] [人] [コメント(0)|トラックバック(0)]