奥多摩と山岳マラソン2009/09/07 22:42

きれいに整備された防火帯を行く山岳マラソン練習者達
月夜見山第2駐車場あたりで、山岳マラソンの練習者達がけっこう、我々に挨拶しながら追い抜いていった。

駐車場にハイカーへの挨拶を兼ねたポスターがあったので、読むと、日本山岳耐久レース/長谷川恒夫Cupが来月行われるとのことだった。
http://www.hasetsune.com/result.html

いくらなだらかな奥多摩の山とはいえ、山を走り回って膝など壊さないのだろうか、いくら何でも山でマラソン競争とは、絶句した。

それにしても、奥多摩の山々は良く整備が行き届いている。防火帯は丁寧に草が刈られて、牧場よりも整った草地になっている。さすが都民の水瓶、人手即ち税金を惜しげもなく注ぎ込んでいるようである。
山岳マラソンも、アップダウンのきつい公園を走っていると見えなくもない。

奥多摩浅間尾根~月夜見山ハイキング2009/09/07 22:21

小河内峠から望む奥多摩ダム
昨日、いつもの仲間3名で、奥多摩浅間尾根から月夜見山を経て奥多摩湖に至るハイキングをしてきた。
「新しい登山靴を購入したのでその足慣らしに行こう」「それじゃ付き合おう」ってな調子で出かけた。

07:10 武蔵五日市駅をバスで出発
08:20 バス停、浅間尾根登山口を出発
09:10 数馬分岐
10:50 奥多摩周遊道路横断
11:40 風張峠
12:30 月夜見山山頂、ちょっと行ってから昼飯
12:50 月夜見第2駐車場
13:30 小河内峠
14:30 奥多摩湖畔
15:00 奥多摩湖バス停

名にし負う奥多摩湖、いままでの山とあまりにも異なるのに度肝を抜かれた。
のっけから、マウンテンバイクの人達の多いことにビックリした。
次には、浅間尾根の終わりから月夜見山周辺までのバイクの騒音。
更に仰天したのが山岳マラソンの人達。

新しいキャラバン社製の登山靴を着用した仲間、「素晴らしい、今までの登山靴は何だったのか」と悦びを連発していた。

麻生首相の大罪2009/08/23 07:23

我が家のベランダから見える松下政経塾の塔
我が家のすぐ近くには、松下政経塾がある。松下幸之助氏が、日本の政治の将来を考え、逸材を育てるために創ったという。自民にも民主にも、既に10数名を数える卒塾生国会議員を数え、民主党元岡田総裁もその一人だという。

ところで、実際の国政はどうか。財政再建をマニフェストに掲げて選挙に圧勝した小泉総裁率いる自民が政権を取った。それ以来、長々と自民党政権が続いている。総裁はバンバン代替わりし、今は麻生総裁=首相である。
この、麻生首相になって、異変が起こった。財政再建をマニフェストに掲げた政党が、何と国の資産を大盤振る舞いしてしまったのだ。自民党にとって、国民への財政再建の約束はどうなってしまったのか、まるっきり逆、とんでもない約束破りである。

確かに「景気が悪化した、そのために財政再建から方針転換が必要」それなら、議会を解散し、景気対策というマニフェストのもとに総選挙を行い、国民に問えば済んだ話である。それを選挙に負ける可能性があるからといって行わないという判断は、間違っている。
クラウンを買う人間にも税金の補助を付けるような大盤振る舞い、何を考えているのだろうか。
自分の希望する政治を実現しようとする政党に票を入れる、それが、これまで延々と積み上げられてきた現政治制度の形、政党政治であり、国民の政治へ関わる方法である。それが、真逆の政策をされてしまった。
国民主権、そのための選挙制度、議会制度ではないか。麻生首相は、政党政治をないがしろにしてしまった。この罪は大きすぎるとしか言いようがない。

来週30日には、 「待ちに待った」 衆議院選挙日である。財政再建というので選ばれたにもかかわらず、湯水のごとく税金を使いまくった、そんな自民党に投票する人がいれば、たいしたものである。
自民党衆議院議員には、妻の親戚もいるが、麻生総裁を選んだ罪はかぶらねばならない。選挙惨敗の鉄槌が自民党に下っても、あたりまえである。

石油価格と地球温暖化ガス削減2008/06/29 21:11

そう言えば、石油価格上昇で、最近特に違和感を感じる。マスコミや政治が一斉に石油増産の大合唱、これ、おかしいと思わない?
確かに「値上げをせねばやってゆけない」「物価上昇に繋がってたいへんだ苦しい」よくわかる。でも、もう一方で地球温暖化が深刻であることをマスコミも政治も大合唱していなかったっけ?片側だけ聞いていれば、「ふむふむ、そうだね」と納得するが、両方聞くと、「一体、何考えとるねん!」と言いたくなる。

経済原則こそが今の人類にとって最大の牽引力であり、CO2削減に真剣に取り組む契機となる。私が学生時代の30数年前、オイルショックが日本を襲い、その結果省エネ技術や燃料転換が進み、為に石油価格は下落し低迷の時代に突入した。石油は地球が気の遠くなるような時をかけて蓄積してきたもの、それが安くなりすぎたのだ。石油価格が下落したために、一頃盛んだった代替エネルギーや開発された省エネ技術は、多くが実用化されることなく姿を消してしまった。

石油増産は、即ちCO2増加であることは自明である。それを石油価格上昇を理由に解禁してはならない。
今までが異常に安い石油の上に築かれた生活、砂上の楼閣であったと考え直すべき、そして今の痛みはCO2削減の課程で避けて通れないものと捉えるべき。
石油価格上昇を燃料転換、省エネ、CO2削減の追い風ととらえ、懸命に努力し、真剣に取り組むチャンスと考えたい。
少なくとも日本はその方向に動いて欲しい。

インターネットに思うこと2007/10/14 10:19

 このところ、マスコミでは、自殺幇助を請け負って若い女性を殺した子持ちの男の報道が続いている。なんと、政府までがインターネット違法サイトの取り締まりに動き出したそうだ。
 確かに、ホームページにE-mailアドレスを表示しようものなら、もう翌日から怪しげな勧誘のE-mailがじゃんじゃん舞い込む。sex、drug、gamblie、swindle・・・国内はおよばず海外からでもどんどん来る。逆に、検索エンジンを使えばいくらでも怪しげなサイトが現れる。インターネットのサイトを使った募金など善意が実る一方で、救いようのない陰湿ないじめが広がっている。この傾向は、どんどん加速しているように見える。
 インターネットは、人間をとりまく情報環境を激変させた。上手く使えば、居ながらにして必要な情報を短時間で得ることができる。その結果、人間の素晴らしいものを発現することが容易になると同時に、本来心の奥底に閉じこめておかなければいけない禍々しきものまで形となりだした。インターネットで、同好の士が知り合って仲間となり、連帯し情報交換して急速にその能力、成果を延ばすことができる。けれども、それは良い意味でも悪い意味でもあてはまる。そして、とかく悪い面のほうが人々の関心を引く、それに合わせてマスコミも動く。

 私がインターネットを始めた1995年頃は、皆がインターネットに希望を持ち、それを使う人々の善意や節度を期待していた。ASAHI-NETでは、本名やプロフィールの開示を義務づけたくらいである、パソコン通信の拡大版、特定多数のソサイエティーの延長程度の認識であったようだ。旧来の友人のようにE-mailを交換しあい、オフ会などで皆が集まり盛り上がったりもした。最近は逆に特定多数のソサイエティーをインターネットの中に形成して成功していると聞く、何とも皮肉な話である。
 インターネットに接するものは、悪意の人々や狡猾な罠に対する用心が不可欠である。
 また、悪しき心に負けてはならない,、あの男も、インターネットが無ければ犯罪に手を染めることは無かったように思う。

砂に埋もれたモンサンミッシェル2007/09/07 10:44

引き潮時のモンサンミッシェル

 海といえば、この夏、フランスのモンサンミッシェルに行ってきた。
 ここでは、逆に島の周りを砂浜が包囲し始めているという。遠目には、かの有名なモンサンミッシェルそのものだが、なんと、ずーっと沖の方まで砂浜である。堤防の建設で潮の流れが変わり、砂浜が発達し、干潮になるとその砂浜が現われてしまう。
 人によってどんどん自然が変えられて行き、その結果はなかなか予想もつかず人にとって必ずしも好ましいものにはならない。
 環境アセスという制度もあるが、諫早湾の話など、首をかしげるばかりである。

湘南茅ヶ崎海岸、台風去って2007/09/07 09:46

台風後の朝の湘南茅ヶ崎海岸

 久々に台風の直撃を受けての翌朝、JR東海道線も止まってしまったので、半休をとって近くの茅ヶ崎海岸を見に行った。
 やはりというか、波飛沫は堤防を兼ねたサイクリングロードも相当洗ったらしい。その手前の道には塩水の池ができ、地面には砂が波紋を描いていた。転がった自転車は波紋の砂に少しばかり埋められていた。
 海は、干潮直後にもかかわらず茅ヶ崎海岸の砂浜は消えて、サイクリングロードの直ぐ下にまで迫り、南風に吹き寄せられた海水が飛沫を飛ばしながら渦巻いていた。
 台風と満潮が重なったらと思うと背筋が寒くなった。

 ツバイ島など、南太平洋の島々が海に飲み込まれつつあるという話は聞いていたが、ベネチア/サンマルコ広場が海になっているシーンなどもあったが、それらは他人事ではない。

非科学の蔓延を嘆く2006/12/09 20:56

昨日、車で移動しているときに、カーラジオに愕然とした。
FM横浜だったと思う、女性アナ達が口々にスチーマなるものを囃し立ている、「水を白金でナノマイクロの微粒子にして肌に吹き付けるので、お肌が潤う」というのだ。
我ら科学の徒には、「何言ってるの、バカか?」としか思えない。まず、そんな微粒子にしたら、水蒸気が湿度飽和な状況下で無くてはあっという間に蒸発してしまう。肌の表面に辿り着いたとして、そこで水膜を作り、それから肌に浸透するのだから、水滴の粒度など意味がない、水膜の温度が肌への浸透を律速するのであって、水膜に至るミスト粒径は無関係であることは、中高の理科を学んだ者であればすぐ解るはずである。そんなスチーマなど使うなら、熱いタオルで蒸せばよい。
そんなことが解らない女子アナどもも問題だけれど、そんなPRを平気でやらせる放送局の管理者達は何なのか。スポンサーのコマーシャルの為なら、聴者に平気で自分でも理解できないことでも放送してしまうのか。「そんな放送、やめちまえっ!」て言いたい。
事はFM横浜にとどまらない。最近、TVに、化粧品の宣伝に、やたらと「白金ナノコロイド」なる言葉が登場する。白金は、「反応性のない安定した金属だから大丈夫」 それなのに「触媒作用でお肌に良い」という。「触媒作用は、反応するからじゃないのっ!中間体が触媒と反応して出来るから、触媒作用が生じる、って習ったよ」そう中高の理科を学んだ私は言いたい。
マスコミは平気で嘘を言う、少なくとも、台本に書いてあることを視聴者がもっともと思うようにしゃべりまくる。科学的に、簡単に嘘と解るような事でも、スポンサーの要請であれば平気で放送してしまう。
そういえば、いろんな一流電機メーカーも、「マイナスイオン」なるPRをしている。普通の水だってプラスイオンとマイナスイオンを含んでいる。マイナスイオンの効果がどうのこうの。何を言ってるのか、「中高の理科の言葉で説明して欲しい」って言いたい。
バカにされた視聴者、消費者。非科学を平気で放送するマスコミ、メーカ、そんなのみていると、「日本も、もう終わりだな」って思えてくる。昔、「泡がはじける際出す超音波で肌を綺麗に」とありもしないことをまことしやかに解説する洗顔器が大流行した。それと同じ、科学解説もどきで人をたぶらかす、そんなものが幾度と無く現れる。最近はそんなものが目白押しである。

非科学が大手を振ってTVやラジオから流れてくる、どうなっているんですか。化粧品メーカさん、電機メーカさん、それにも増してマスコミさん、どうなんですか。

紅葉の西丹沢2006/11/03 17:29

西丹沢自然教室の紅葉

そろそろ紅葉も見頃ではないかと思い、西丹沢に出かけた。
西丹沢自然教室の駐車場に車を置いて、つつじ新道~檜洞丸(標高1601m)~犬越路~用木沢出合と、延長12kmちょっと、標高差1000mを一周した、所要時間は休憩を含め4時間半弱。
http://www.chizumaru.com/maplink.asp?SER=all&D=all&X=500705.786&Y=127734.998&SCL=4322

登りはじめの紅葉はチラホラだったが、さすがに登るにつれて山を彩る鮮やかな赤や黄、コントラストの緑に目を奪われた。登山道はもう紅葉を交えた落ち葉で覆い尽くされて絨毯の上を歩くよう、葉を落とした枝の先には山々が紅葉や流れる雲を纏いながら幾重にも重なり合って広々と広がり、見事だった。
檜洞丸→犬越路の痩尾根や急峻な下りも、その見事な展望と相まってなかなかに楽しめた。

ちょっと気になったこと、犬越路~用木沢出合~西丹沢自然教室の間は、東海自然歩道になっている。けれども、沢に渡された木道のほとんどは流されたりなどして位置を変え使い物にならず、並んだ石の上を渡るしかない。山の斜面に刻まれた段々は土が流されたりして崩れ、なまじ階段の木杭が残っているだけにとても歩きにくい。
しっかり整備されている西丹沢自然教室~つつじ新道~檜洞丸の登山道と対照的である。いつもの事ながら継続性のない政策、税金の無駄遣い、せっかく作られた東海自然歩道、なんとかならないものか?

タバコの嫌いな訳2006/10/28 13:19

道端の花とタバコの吸い殻

そういえば、朝の散歩で長良川からの帰り道、車の行き交う道路脇に、可愛らしい小さな藤色の花を見つけた。近づいて見ると、せっかくの野の花の脇に、タバコの吸い殻が沢山転がっている。
そんな場所でタバコを何本も吸う人が居るはずもなく、渋滞しがちなことから、おそらく車から灰皿の吸殻を捨てたのだろう。

道を歩いていると、車を停めて灰皿の中身をひっくり返す光景を何度か見たことがある。当然、何本もの吸殻が道にばらまかれる。とても嫌な風景、世間には、安易にタバコを捨てる人がずいぶん沢山居るのだろう。この時ばかりは「タバコなんて無くなってしまえ」と思ってしまう。
自分に関係の無い場所だからといって捨てるのだろうが、道端に捨てないで始末するのに比べ、掃除の負担は何倍にも増える。それどころか火事の心配まである、とんでもないことだ。

昔のヨーロッパも道はゴミ捨て場であったと言う。今でも多くの国で、道はゴミ捨て場になっている。勿論かの大国も、私の知る限りではそうであった。次のオリンピックまでに、そんな風潮は無くなっているのだろうか。
道にゴミを捨てる人が居なくなれば世の中も進歩したと思えるのだが、これからの日本はどうなのだろうか。