石油価格と地球温暖化ガス削減2008/06/29 21:11

そう言えば、石油価格上昇で、最近特に違和感を感じる。マスコミや政治が一斉に石油増産の大合唱、これ、おかしいと思わない?
確かに「値上げをせねばやってゆけない」「物価上昇に繋がってたいへんだ苦しい」よくわかる。でも、もう一方で地球温暖化が深刻であることをマスコミも政治も大合唱していなかったっけ?片側だけ聞いていれば、「ふむふむ、そうだね」と納得するが、両方聞くと、「一体、何考えとるねん!」と言いたくなる。

経済原則こそが今の人類にとって最大の牽引力であり、CO2削減に真剣に取り組む契機となる。私が学生時代の30数年前、オイルショックが日本を襲い、その結果省エネ技術や燃料転換が進み、為に石油価格は下落し低迷の時代に突入した。石油は地球が気の遠くなるような時をかけて蓄積してきたもの、それが安くなりすぎたのだ。石油価格が下落したために、一頃盛んだった代替エネルギーや開発された省エネ技術は、多くが実用化されることなく姿を消してしまった。

石油増産は、即ちCO2増加であることは自明である。それを石油価格上昇を理由に解禁してはならない。
今までが異常に安い石油の上に築かれた生活、砂上の楼閣であったと考え直すべき、そして今の痛みはCO2削減の課程で避けて通れないものと捉えるべき。
石油価格上昇を燃料転換、省エネ、CO2削減の追い風ととらえ、懸命に努力し、真剣に取り組むチャンスと考えたい。
少なくとも日本はその方向に動いて欲しい。

ハイブリッド車、電気自動車のリチウム電池に警鐘2008/06/17 22:22

このところぐんぐんガソリンの価格が高騰、ためにハイブリッド車が脚光を浴びている。燃比が良くて少ないガソリンで済み、経済的に助かり同時に地球温暖化を加速させるCO2排出量も削減できる、いいことずくめである。

でも、そのための電池が衝撃で炎を上げる代物となれば、話は違う。

雑誌「都市清掃」5月号を読んで驚いた。「リチウム電池は、ボタン電池でさえ、機械的に破損しただけで大きく炎を上げて燃える」ことを実験して確認したという。電池の残量に関係なく、有機溶媒である内部電解液が電池破損による火花で燃えだし、それが金属リチウムを着火する。金属リチウムは大きな炎を上げて燃えるのである。
考えてみると、リチウムは人間がエネルギーを使って無理に作り出した金属なのだ。周期律表から言って、ナトリウムやカリウムより強力なアルカリ金属、当然空気中で燃え始め、その燃焼熱で溶けて飛び散りながら激しく燃え盛る。しかもそれは、水と激しく反応して強烈な強アルカリとなる、浴びたら人の眼や皮膚はひとたまりもない。

そういえば、ソニー製のノートパソコン電池が炎上し全世界で回収という騒ぎがあったが、それはリチウム電池だった。

そんなリチウム電池が車に積載されたらどうだろう。
ちょっとした事故でも、衝撃で搭載していたリチウム電池に火が着くと、たちまちの内に車がリチウムの炎に包まれ、搭乗者は助かったとしても高温のアルカリや溶融リチウム金属を浴びて悲惨なことになってしまうのでは?
不思議なことに、そんな悪夢ともいえる可能性について、今まで耳にしたことがない、いったいどうなっているのだろう。

リチウム電池はメモリー効果が無く、軽く、大容量蓄電が可能だと言う。既に一部のハイブリッド車や試作電気自動車に搭載されていると聞く。自動車用リチウム電池の工場が建設されているとも聞く。
それなのに、車搭載リチウム電池の炎上溶融の危険性について、マスコミやメーカー、学者先生方達は口をつぐんでいる。

ちなみにトヨタプリウスはニッケル水素電池だそうである、納得できない口実みたいな理由でリチウム電池は採用されていない。まだ、リチウム電池の安全性は確立されていないと判断せざるを得ない。車に乗る際には、リチウム電池搭載で無いことを確認しなくては。
「リチウム電池が改善されたので、壊れても絶対に火を出さない」とかいう宣伝が流れ始めたらこんな心配は不要なのだけれど、まだとうてい愛する人をリチウム電池搭載の車には乗せられない。

追記:リチウム電池を燃やす実験の報告がインターネットにいくつかあった。それらは「燃える」といった生やさしいものではない。内部の圧力が高まると外皮が外れて吹き飛び、中身が一挙に噴出し瞬間に爆燃する。まさに炎がボンと炸裂するようである。
一方、NEDOでは、有機溶媒の代わりに個体電解質を使ったリチウム電池が開発されたとか。そうであれば、燃えるのは金属リチウムのみとなり、かなりおだやかなものとなりそう。今後を見守りたい。

東海道線に乗車した蛾2008/05/15 23:57

東海道線の車窓に止まった蛾

先日外まわりに出ての帰り、東海道線に乗って坐ろうとしたところ、先客が止まっていた。10数cmもある立派な蛾。あわてて別の席に座り、携帯でこの写真を撮った。
どのようにして車両に乗り込んだのだろう。誰かのスーツの背中に乗ってはいってきたのか、停車中の電車に飛来したのか。
偶然紛れ込んだのだろうが、もしかして都会に遊びに行こうとしているのか。それとも、もう腹には受精卵を宿していて、種族を都心に進出させようとしているのか。
想像しだすとなかなか楽しい。
これから蛾はどうなるのか、私は気になりながらそっと自分の駅で下車した。

ニホンカモシカとの遭遇2008/05/06 21:29

遭遇したニホンカモシカ

このゴールデンウィーク、3年前西上州に行った3人で、秩父の矢岳1,358m登頂を試みてきた。
矢岳は超マイナーな山で、識っている人は、まずいないと思う。実は私も、友人に誘われて初めてその存在を知った。秩父鉄道の武州日野駅から南に4kmほどのところにあり、秩父鉄道沿線からこぢんまり整った三角の山容を見ることが出来る。
車で2~3kmほど入り、そこから急峻の斜面に拓かれた林道を2時間ばかり歩いてようやく登山口に着く。その林道は、伐採植林が盛んに行われているようであるにもかかわらず、途中数カ所も人もまともには通れないほど崩れている。何のことはない、強引に切り拓いたのだから、自然の摂理で、落石、崩落が至る所に生じて補修整備も追いつかず、惨憺たる姿となっているもののようだ。
ビックリしたのだけれど、登山口も近いあたりの林道で、ニホンカモシカに遭遇した。突然、数m先を道の上から下へと横切って、そのまま去らずに我々をじっと見て(写真)、それからどこかに行ってしまった。
実は、そこは彼等のテリトリーであった。登山口から直ぐ登山道を見失って南側の立橋尾根に迷い込み、脆く浮き石だらけの岩を乗り越え、落ち葉を深く纏った急斜面を横切り、クマザサを掻き分けながら、延々とカモシカの獣道を通って笹頭から赤岩ノ頭1,448mに出ることができ、矢岳に向かう途中で林道に戻る登山道を見つけて夕刻に帰る事が出来た。
何故カモシカの獣道かって?例の大きな甘納豆のような糞が至る所に転がっている踏み分け道で、カモシカの蹄跡もいっぱいあるのに、人の足跡なんてどこにも無かった。
獣道だけでなく、登山道にも甘納豆は沢山転がっていた。

「カモシカに助けられたようなものだなあ」と、仲間と頷きあった。

大きなホンコンXmasツリーの勧め2007/12/09 09:07


今年も12月、さっそくXmasツリーを飾った。

我が家のツリーは、丈が170cmもあるプラスチック製、いわゆるホンコンである。娘が生まれて初めてのXmasに、ダイクマで見つけて買ってきたもの。それを妻が見て、「キャバレーではあるまいし・・・」

でも、今はとても喜んでいる。学校の工作で作ったもの、友人からもらったもの、お祖母ちゃんが作ってくれたもの・・・いろんなものがいっぱいぶらさがっている。Xmasつりーは、想い出の数々で飾られている。
あと、生の木では、毎年切られる若木が可哀想である、ホンコン製であればそんなことはない、TLCO2(生涯CO2)負荷から考えると、ホンコンのほうが絶対「地球に優しい」

娘が小さい頃、クリスマスの朝、ツリーの根本にプレゼントを見つけて、「ワー、サンタさんからもらったよ」と喜んでいた頃が懐かしい。
大きくてホンコンのXmasツリーは絶対お勧め、あなたの家ではどうされています?

インターネットに思うこと2007/10/14 10:19

 このところ、マスコミでは、自殺幇助を請け負って若い女性を殺した子持ちの男の報道が続いている。なんと、政府までがインターネット違法サイトの取り締まりに動き出したそうだ。
 確かに、ホームページにE-mailアドレスを表示しようものなら、もう翌日から怪しげな勧誘のE-mailがじゃんじゃん舞い込む。sex、drug、gamblie、swindle・・・国内はおよばず海外からでもどんどん来る。逆に、検索エンジンを使えばいくらでも怪しげなサイトが現れる。インターネットのサイトを使った募金など善意が実る一方で、救いようのない陰湿ないじめが広がっている。この傾向は、どんどん加速しているように見える。
 インターネットは、人間をとりまく情報環境を激変させた。上手く使えば、居ながらにして必要な情報を短時間で得ることができる。その結果、人間の素晴らしいものを発現することが容易になると同時に、本来心の奥底に閉じこめておかなければいけない禍々しきものまで形となりだした。インターネットで、同好の士が知り合って仲間となり、連帯し情報交換して急速にその能力、成果を延ばすことができる。けれども、それは良い意味でも悪い意味でもあてはまる。そして、とかく悪い面のほうが人々の関心を引く、それに合わせてマスコミも動く。

 私がインターネットを始めた1995年頃は、皆がインターネットに希望を持ち、それを使う人々の善意や節度を期待していた。ASAHI-NETでは、本名やプロフィールの開示を義務づけたくらいである、パソコン通信の拡大版、特定多数のソサイエティーの延長程度の認識であったようだ。旧来の友人のようにE-mailを交換しあい、オフ会などで皆が集まり盛り上がったりもした。最近は逆に特定多数のソサイエティーをインターネットの中に形成して成功していると聞く、何とも皮肉な話である。
 インターネットに接するものは、悪意の人々や狡猾な罠に対する用心が不可欠である。
 また、悪しき心に負けてはならない,、あの男も、インターネットが無ければ犯罪に手を染めることは無かったように思う。

涼しげなプールサイド by Friedrich using Poser and photons2007/07/21 10:40

Friedrichさんから、涼しげなプールサイドのイメージが届きました。

> today I have uploaded some new POV-Ray images
> titled "The Pool" - dreams of summer and holidays ...:-)
> You can find them here:
> http://www.f-lohmueller.de/pov/g_p1.htm
> I hope You'll enjoy them.

そろそろ夏休み、早く梅雨が終わってほしいですね。

乾徳山2007/05/01 23:22


ゴールデンウイークという事で、昨日、車を走らせて甲府の北の乾徳山に登ってきた。
安直に距離をはしょって大平牧場から登ろうと計画したのだが、脇道に入り込んで徳和に出てしまい、結局フルコースの登山となってしまった、トホホ。コースは下記、休憩込みで約5時間。
  徳和-道満尾根-扇平-乾徳山-国師ヶ原-乾徳山登山口-徳和
http://www.chizumaru.com/maplink.asp?SER=all&D=all&X=499432.721&Y=128921.381&SCL=4914
前々から気になっていてのトライだったが、天気に恵まれてその人気を納得。
深い森林、中腹扇平に開けたカヤト、国師ヶ原の白樺林、山頂をとりまく岩場、360度の展望と、てんこ盛りの山の楽しみを満喫できた。この山から眺める富士は絶品。
難を言えば、ウグイスの囀りと共に麓からのディスコサンウンドもそこそこ聞こえて、静寂に没入という訳にはいかなかった事くらい。また、鎖場では慣れない方が取り付いていて、待つのも大変なのでその脇の岩場を登ったり降りたりしてしまった。人気のある山だから、仕方無いか。
飛ばし過ぎたせいか、扇平を過ぎたあたりから脚の大腿筋が攣り始めてしまい、苦労した。水分補給が不足したみたい、次からは、しっかり2リットルペットボトルを持って行こう。
徳和では、村のかたがたから暖かく声をかけられた。乾徳山に対する敬愛や登山への理解を感じ、とても嬉しかった。迷い込んで徳和から登ったのは大正解だったみたい。

FriedrichさんPOV-Rayアップロード2007/01/05 02:43

FriedrichさんからのPOV-Rayアップロードの便りをこのBLOGに転載することにします。
かなり遅くなりましたが、2006/11/27
> I have uploaded some new POV-Ray Objects,
> like a simple car, some trucks, a caterpillar, a crane
> and a helicopter model:
> http://www.f-lohmueller.de/pov_tut/objects/obj_000e.htm
>
> Also 4 new POV-Ray images of "Elephants" :
> http://www.f-lohmueller.de/pov/g_e1.htm
> I made this elephant with a commercial elephant model
> for Poser, transferred to POV by Poser2POV.
> I hope you'll enjoy it!

今年元旦には、
> I only made a little How-To about making a column:
> http://www.f-lohmueller.de/pov_tut/x_sam/sam_510e.htm

タバコの嫌いな訳2006/10/28 13:19

道端の花とタバコの吸い殻

そういえば、朝の散歩で長良川からの帰り道、車の行き交う道路脇に、可愛らしい小さな藤色の花を見つけた。近づいて見ると、せっかくの野の花の脇に、タバコの吸い殻が沢山転がっている。
そんな場所でタバコを何本も吸う人が居るはずもなく、渋滞しがちなことから、おそらく車から灰皿の吸殻を捨てたのだろう。

道を歩いていると、車を停めて灰皿の中身をひっくり返す光景を何度か見たことがある。当然、何本もの吸殻が道にばらまかれる。とても嫌な風景、世間には、安易にタバコを捨てる人がずいぶん沢山居るのだろう。この時ばかりは「タバコなんて無くなってしまえ」と思ってしまう。
自分に関係の無い場所だからといって捨てるのだろうが、道端に捨てないで始末するのに比べ、掃除の負担は何倍にも増える。それどころか火事の心配まである、とんでもないことだ。

昔のヨーロッパも道はゴミ捨て場であったと言う。今でも多くの国で、道はゴミ捨て場になっている。勿論かの大国も、私の知る限りではそうであった。次のオリンピックまでに、そんな風潮は無くなっているのだろうか。
道にゴミを捨てる人が居なくなれば世の中も進歩したと思えるのだが、これからの日本はどうなのだろうか。