花いっぱいの西上州 ― 2005/05/13 22:09

古い友人3人でかなりオタクな山登りをしてきた、その山行中はゴールデンウィーク中にもかかわらずザイルを背負った1カップルとしか出会わなかった。
ところがその山は、さざめくような新緑とピンクに咲くツツジの花霞に覆われた岩山なのだから、何とも凄い。場所は西上州赤岩岳。
たぶん、単独行であれば、夢とうつつが交錯してしまうのでは。
ところがその山は、さざめくような新緑とピンクに咲くツツジの花霞に覆われた岩山なのだから、何とも凄い。場所は西上州赤岩岳。
たぶん、単独行であれば、夢とうつつが交錯してしまうのでは。
霧の金時 ― 2005/05/14 00:21
単独行で想い出したのだが、高校時代、金時山ハイキングを企画したのだが、バカな事に張本人の自分が皆に遅れてしまって。次の電車で追いかけてはみたが、大雄山駅からバスも出たあとで、タクシー代も持ち合わせていなかったものだから、エイヤッとそこから走り始めた。もちろん人気の無い道でおまけに霧が出てきて。スタミナが続くはずも無いので、そのうち足が攣ってしまって、痛みを堪えながらとぼとぼと登り続けた。
不思議なもので、眼が慣れてくると、霧が渦巻き囁きかけてくる、瑞々しく濡れた山百合などがその中から姿を現し優しく声をかけたりもする、霧は音を吸い取ってしまうのでやたらとシンシンとして、たまに鳥の声が遠くから届いて空間を形成したりする、自分の激しい呼吸ばかりが聞こえて、たぶんランナーズハイの類なのだろう陶然たる境地だったのかもしれない。
金時山の最後の詰めの手を使わねばならない登りを終えると、そこは人だかりの賑やかな日常が支配する箱根のハイキングコースで、頂上の茶屋には元気の良いおかみさんがいて、巨人の長島選手がトレーニングにここを走ったとか嘘とも本当とも判らぬ話をしてくれたように思うが、もう40年近くも前の話で定かでない。
定かなのは頂上から先は霧が無かったこと、そして、ゆっくり参加した何人かは仙石原側から登って一行をその茶屋で待っていたこと、皆もうとっくに下山してしまっていたこと。
不思議なもので、眼が慣れてくると、霧が渦巻き囁きかけてくる、瑞々しく濡れた山百合などがその中から姿を現し優しく声をかけたりもする、霧は音を吸い取ってしまうのでやたらとシンシンとして、たまに鳥の声が遠くから届いて空間を形成したりする、自分の激しい呼吸ばかりが聞こえて、たぶんランナーズハイの類なのだろう陶然たる境地だったのかもしれない。
金時山の最後の詰めの手を使わねばならない登りを終えると、そこは人だかりの賑やかな日常が支配する箱根のハイキングコースで、頂上の茶屋には元気の良いおかみさんがいて、巨人の長島選手がトレーニングにここを走ったとか嘘とも本当とも判らぬ話をしてくれたように思うが、もう40年近くも前の話で定かでない。
定かなのは頂上から先は霧が無かったこと、そして、ゆっくり参加した何人かは仙石原側から登って一行をその茶屋で待っていたこと、皆もうとっくに下山してしまっていたこと。
熊澤酒造の一期一会(いちごいちえ) ― 2005/05/14 20:50
我が湘南には熊澤酒造という古い蔵本があって、そこの地酒や湘南ピールなど、地元では名が通っている。何せ地元なもので、いろいろと関わる事もあって親しみがある。ところが、何時でも飲めるということで逆になかなか機会に恵まれず、未だに試したことが無かった。
今日は記念日でどこか記憶に残る所でと思い、思いついて、蔵本でやっているというレストラン/蔵本創作料理天晴 http://r.gnavi.co.jp/g246301/ に家族で訪れてみた。
名前が気に入って、風露酒菜膳/一期一会 というメニューをお願いし、湘南りーべという黒ビールや日本酒を堪能した。ビールやお酒が抜群、料理も名にふさわしいなかなかのもの、でも、何と言っても接客の良さ、行き届いたサービス精神、そして空間や料理やお酒などの演出が素晴らしい。家族一同大満足で、いっぺんにファンになってしまった。
食べるという行為は、全ての生命という生命の宿命ではあるが、その行為を行為を超えたものに高め得たところにこそ、人間の人間たる価値があるように、最近は思う。空間や料理やお酒を素材にサービスを通して演出するのも、それを味わうのも、一期一会、生きる/意味の創造。
今日は記念日でどこか記憶に残る所でと思い、思いついて、蔵本でやっているというレストラン/蔵本創作料理天晴 http://r.gnavi.co.jp/g246301/ に家族で訪れてみた。
名前が気に入って、風露酒菜膳/一期一会 というメニューをお願いし、湘南りーべという黒ビールや日本酒を堪能した。ビールやお酒が抜群、料理も名にふさわしいなかなかのもの、でも、何と言っても接客の良さ、行き届いたサービス精神、そして空間や料理やお酒などの演出が素晴らしい。家族一同大満足で、いっぺんにファンになってしまった。
食べるという行為は、全ての生命という生命の宿命ではあるが、その行為を行為を超えたものに高め得たところにこそ、人間の人間たる価値があるように、最近は思う。空間や料理やお酒を素材にサービスを通して演出するのも、それを味わうのも、一期一会、生きる/意味の創造。
鳥とサクランボ ― 2005/05/15 09:43
ゴールデンウィークに入ってすぐの頃、庭が騒がしいので見ると、サクランボをヒヨドリがついばんでいた。
http://members.jcom.home.ne.jp/tomkm/garden/ig00chj.html
サクランボ、普通は複数本植えなければ結実しないのだが、この種類は自家受粉O.K.というので植えてみた、毎年ほんとによく実ってくれる。しかも花は3月半ば、収穫は5月上旬。店では見かけない種類のサクランボであったが、何と、中国の青島にほど近い街の露天市で、びっしりと実を付けたこのサクランボの枝が売られているのを見かけたことがある。
さっそく、赤く実ったのをつまみ食いしながら鳥よけネットを張った。枝から直接口に放り込むと、瑞々しく甘酸っぱい味が口に広がるのだが、たくさん取って洗って食卓に出すと単に酸っぱいだけのものに変質してしまう。
そんなサクランボ、そろそろ収穫の時期を終える。
実はこのサクランボ、今年はちょっとした?事故があった。ネットを張った翌朝、当のヒヨドリがネットにからまって死んでいた、ネットをくぐり抜ける際に失敗したらしい。丁寧に外して埋葬したのだが、この鳥、手のひらからかなりはみ出るサイズなのにとても軽い。サイズのほとんどが羽根毛のためのようだが、死によって何か重たいものが抜けてしまったようだった。外傷は何もないのに、ネットに捕らわれただけで命が絶たれた。
おそらくつがいのヒヨドリなのだろう、その後もせっせと実をついばみに来る、鳥よけネットなどおかまいなしにネットの外からついばむ、赤いサクランボの実を嘴に挟んで飛び去ってゆく、日常は何事もなく繰り返す。
サクランボに命をかけた鳥に、合掌。
http://members.jcom.home.ne.jp/tomkm/garden/ig00chj.html
サクランボ、普通は複数本植えなければ結実しないのだが、この種類は自家受粉O.K.というので植えてみた、毎年ほんとによく実ってくれる。しかも花は3月半ば、収穫は5月上旬。店では見かけない種類のサクランボであったが、何と、中国の青島にほど近い街の露天市で、びっしりと実を付けたこのサクランボの枝が売られているのを見かけたことがある。
さっそく、赤く実ったのをつまみ食いしながら鳥よけネットを張った。枝から直接口に放り込むと、瑞々しく甘酸っぱい味が口に広がるのだが、たくさん取って洗って食卓に出すと単に酸っぱいだけのものに変質してしまう。
そんなサクランボ、そろそろ収穫の時期を終える。
実はこのサクランボ、今年はちょっとした?事故があった。ネットを張った翌朝、当のヒヨドリがネットにからまって死んでいた、ネットをくぐり抜ける際に失敗したらしい。丁寧に外して埋葬したのだが、この鳥、手のひらからかなりはみ出るサイズなのにとても軽い。サイズのほとんどが羽根毛のためのようだが、死によって何か重たいものが抜けてしまったようだった。外傷は何もないのに、ネットに捕らわれただけで命が絶たれた。
おそらくつがいのヒヨドリなのだろう、その後もせっせと実をついばみに来る、鳥よけネットなどおかまいなしにネットの外からついばむ、赤いサクランボの実を嘴に挟んで飛び去ってゆく、日常は何事もなく繰り返す。
サクランボに命をかけた鳥に、合掌。
品川に来る牛 ― 2005/05/16 08:33
知っているかたは知っているのだが、品川インターシティーの隣に都の食肉市場がある。今日も通勤の際見かけたが、牛さん達を沢山乗せたトレーラーが生体車通路に入って行く。そんな牛さんとは、たまに信号待ちの際など眼が会ったりする。
豚は騒ぐこともあるようだが、牛は皆大きなつぶらな瞳で穏やかな表情をして運ばれてゆく、生体と呼ばれるのを識ることも無く。壮麗な高層ビル群の中にそのような場所があるのは、象徴的ではある。
聞いた話だが、畜産科の学生は、自分で育てた家畜を自ら処理しなければならないとか。ところが、一般の人は、肉となった家畜がどのように生きたかなど想像もしない。食うという行為を直視しなくては、生きる実相は見えないにもかかわらず。
豚は騒ぐこともあるようだが、牛は皆大きなつぶらな瞳で穏やかな表情をして運ばれてゆく、生体と呼ばれるのを識ることも無く。壮麗な高層ビル群の中にそのような場所があるのは、象徴的ではある。
聞いた話だが、畜産科の学生は、自分で育てた家畜を自ら処理しなければならないとか。ところが、一般の人は、肉となった家畜がどのように生きたかなど想像もしない。食うという行為を直視しなくては、生きる実相は見えないにもかかわらず。
朝はヨーグルト ― 2005/05/18 06:09
私は、毎朝たっぷり自家製ヨーグルトを食べている。
自家製と言っても、1リットルの牛乳パックに市販のヨーグルトを一匙ばかり加えて一晩寝かせただけのもの。ちょうどお風呂の湯加減位に暖めてあげるのがコツで、牛乳を電子レンジに3分+2分ほどかけて暖めてから予め少量の牛乳で溶いたヨーグルトを加える、保温にはぬるま湯をたっぷり入れた大鍋にその牛乳パックを浮かべ、新聞紙で包んで保温するだけ。
実は、3年ほど前、娘が大学からカスピ海ヨーグルトを大学から持ってきた。それで1年半ほど自家製ヨーグルトとして食していた。こちらのほうは、冬以外は、常温で立派にヨーグルトになってくれる。けれども、最初の半年あたりは、牛乳パックの壁にこびり付いたところからチーズっぽい香りがしていたのに、何時の頃からかその香りが消えてしまって。大事をとって市販ヨーグルトに切り替えた。
なかなか面白いのが、ちょっとしたことで発酵状態が違ってくること。たとえば種にする市販ヨーグルトの種類、牛乳の種類やメーカでかなり差が出る。低めの温度ほど酸っぱさが抑えられるとか、いろいろ試すのは楽しく、醸造家になった気分を味わえる。出来具合は、口に含んで味と香りをみるのが一番、人間の味覚嗅覚ほど高感度のセンサーは無い。
毎日たっぷりヨーグルトを摂るので、胃の調子が良い、快便、それにCaも摂れるので性格が穏やかになってきたようでもある。また、低脂肪乳でも美味しくいただけるのは嬉しい。
ところで、家族にはいくら勧めても食べてくれない、Tom製ヨーグルトはイマイチ信用が無いようだ。
自家製と言っても、1リットルの牛乳パックに市販のヨーグルトを一匙ばかり加えて一晩寝かせただけのもの。ちょうどお風呂の湯加減位に暖めてあげるのがコツで、牛乳を電子レンジに3分+2分ほどかけて暖めてから予め少量の牛乳で溶いたヨーグルトを加える、保温にはぬるま湯をたっぷり入れた大鍋にその牛乳パックを浮かべ、新聞紙で包んで保温するだけ。
実は、3年ほど前、娘が大学からカスピ海ヨーグルトを大学から持ってきた。それで1年半ほど自家製ヨーグルトとして食していた。こちらのほうは、冬以外は、常温で立派にヨーグルトになってくれる。けれども、最初の半年あたりは、牛乳パックの壁にこびり付いたところからチーズっぽい香りがしていたのに、何時の頃からかその香りが消えてしまって。大事をとって市販ヨーグルトに切り替えた。
なかなか面白いのが、ちょっとしたことで発酵状態が違ってくること。たとえば種にする市販ヨーグルトの種類、牛乳の種類やメーカでかなり差が出る。低めの温度ほど酸っぱさが抑えられるとか、いろいろ試すのは楽しく、醸造家になった気分を味わえる。出来具合は、口に含んで味と香りをみるのが一番、人間の味覚嗅覚ほど高感度のセンサーは無い。
毎日たっぷりヨーグルトを摂るので、胃の調子が良い、快便、それにCaも摂れるので性格が穏やかになってきたようでもある。また、低脂肪乳でも美味しくいただけるのは嬉しい。
ところで、家族にはいくら勧めても食べてくれない、Tom製ヨーグルトはイマイチ信用が無いようだ。
山王丸さんの「鳥」 ― 2005/05/22 06:17
山王丸さんが出品されたとのことで、昨日、上野の都立美術館で開かれている太平洋展にでかけた。
http://www.asahi-net.or.jp/~nw4h-snnu/
http://www.taiheiyobijutu.or.jp/event/p_taiheiyoten.htm
山王丸さんの「鳥」は第一室に展示されていた。カンディンスキーの継承というより、山王丸さんの独自の宇宙であり、ますます完成度を高めている。
しばしたたずみ、その画面にて奏でられる音楽に浸った。控えめで内に向かいながらのびやかに歌う澄んだ音色は、他には得られないものである。
改めて、絵画の力というものを考えさせられる。
http://www.asahi-net.or.jp/~nw4h-snnu/
http://www.taiheiyobijutu.or.jp/event/p_taiheiyoten.htm
山王丸さんの「鳥」は第一室に展示されていた。カンディンスキーの継承というより、山王丸さんの独自の宇宙であり、ますます完成度を高めている。
しばしたたずみ、その画面にて奏でられる音楽に浸った。控えめで内に向かいながらのびやかに歌う澄んだ音色は、他には得られないものである。
改めて、絵画の力というものを考えさせられる。
遊び ― 2005/05/25 12:20
わたしはJR東海道線で通勤しているのだが、今朝は横浜駅の信号故障とかで朝から全く鉄道が動かず、結局3時間半遅れの列車で、2時間ほど遅れての出社となった。
交通システムは、その影響が甚大であるにもかかわらず、よく事故が起きる。信号故障などのシステム自体の不具合だけでなく、人身事故や線路内への立ち入り、踏切事故、運行妨害、あるいは強風で飛んできたシートが架線にからまった、沿線で火事が起きた等、様々な1点での事故がラインを遮断し、広範囲の交通システム機能を麻痺させる。それは交通システムにとどまらず、都市機能に様々な負の影響が及んで行く。今朝、携帯電話で会社に電話を入れる人の如何に多かったことか。
まさに都会の脆弱性そのものであり、交通システムあっての東京メガロポリスであることがわかる。
この脆弱性を克服する手法には、二つ考えられる。
一つは2重化である。例えば、東海道線がダメでも横須賀線で、といったものである。もっとも、今朝は、横須賀線も同様にダウンしたようなので、必ずしも克服できる訳では無い。
もう一つは遊びである。何でも少し余裕代を見込んでおくのだが、これは経験者の智慧であり、古来、賢人が採用してきた手法でもある。例えば車のブレーキなど、遊びがなければ運転できるものではない。
もっとも、一番必要なのは、ちょっとしたことにカリカリしない心の余裕、遊び心かな。
交通システムは、その影響が甚大であるにもかかわらず、よく事故が起きる。信号故障などのシステム自体の不具合だけでなく、人身事故や線路内への立ち入り、踏切事故、運行妨害、あるいは強風で飛んできたシートが架線にからまった、沿線で火事が起きた等、様々な1点での事故がラインを遮断し、広範囲の交通システム機能を麻痺させる。それは交通システムにとどまらず、都市機能に様々な負の影響が及んで行く。今朝、携帯電話で会社に電話を入れる人の如何に多かったことか。
まさに都会の脆弱性そのものであり、交通システムあっての東京メガロポリスであることがわかる。
この脆弱性を克服する手法には、二つ考えられる。
一つは2重化である。例えば、東海道線がダメでも横須賀線で、といったものである。もっとも、今朝は、横須賀線も同様にダウンしたようなので、必ずしも克服できる訳では無い。
もう一つは遊びである。何でも少し余裕代を見込んでおくのだが、これは経験者の智慧であり、古来、賢人が採用してきた手法でもある。例えば車のブレーキなど、遊びがなければ運転できるものではない。
もっとも、一番必要なのは、ちょっとしたことにカリカリしない心の余裕、遊び心かな。
タイミング ― 2005/05/26 05:50
遊びで思い出したが、なんでも、タイミングが重要である。
最近、オーベルジュブランシュ
http://www.auberge-jp.com/
で素晴らしい料理を堪能したが、何がすばらしいと言って、料理の出てくるタイミングが絶妙なのである。
おなじことでも、タイミングによって価値がまったく変わってしまう。例えば好意が悪意にとられたりなど、よくあることである。わたしも反省して、タイミングに気をつかわねば。
最近、オーベルジュブランシュ
http://www.auberge-jp.com/
で素晴らしい料理を堪能したが、何がすばらしいと言って、料理の出てくるタイミングが絶妙なのである。
おなじことでも、タイミングによって価値がまったく変わってしまう。例えば好意が悪意にとられたりなど、よくあることである。わたしも反省して、タイミングに気をつかわねば。
料理は化学工学? ― 2005/05/30 01:33
料理と言えば、実は休日、よく家族の分まで自分で創って楽しむ。
そもそも、車で食材を買い出しに行き始めて、食べたいものが目にとまると買い込んで調理することから始まったのだが、これが実に楽しい。
最近は、前菜、スープ、主菜、デザートとコース仕立てで、トータルアレンジを組み立てたり、変わった食材や眼に美味しいもの香りを生かした料理など、いろいろ考え出すと尽きることがない。
会社でたまたま料理をする話が出た。意外なことに、化学工学出身の先輩も料理をよくするという。考えれば、確かに、実験器具を洗ったり実験の段取りをしたりプロセスを工夫したり、化学実験は料理そのものである。
何のことはない、学生時代にたたき込まれた化学実験が習い性となり、料理に姿を変えているだけなのかもしれない。
そもそも、車で食材を買い出しに行き始めて、食べたいものが目にとまると買い込んで調理することから始まったのだが、これが実に楽しい。
最近は、前菜、スープ、主菜、デザートとコース仕立てで、トータルアレンジを組み立てたり、変わった食材や眼に美味しいもの香りを生かした料理など、いろいろ考え出すと尽きることがない。
会社でたまたま料理をする話が出た。意外なことに、化学工学出身の先輩も料理をよくするという。考えれば、確かに、実験器具を洗ったり実験の段取りをしたりプロセスを工夫したり、化学実験は料理そのものである。
何のことはない、学生時代にたたき込まれた化学実験が習い性となり、料理に姿を変えているだけなのかもしれない。
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