敗戦記念日、そして戦後60年2005/08/15 20:24

今日敗戦記念日を迎え、戦後60年だという。

それに関し、マニラで開かれた学会の国際地域シンポジウムを思い出す。フィリピンの学会が主催で、日本、タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポールなどからの参加だったが、打ち上げには皆で日本軍ゆかりの記念公園、マニラ湾の入り口に浮かぶコレヒドール島に出かけた(写真)。極東の国々では、国家の根深いところに日本軍侵攻の記憶が核として存在している。記念公園は、日本撃退のモニュメントであると同時に、日本にとっての英霊の墓標でもある。
中国や朝鮮半島では、日本に対する恨みを教育しているという。太平洋戦争で日本が極東諸国に与えた傷跡は今でも血を滴らせ、現地を訪れる我々の眼前に姿を現す。

国内ではどうであろうか、やはり、アジアの諸国が主張するように、日本は太平洋戦争の歴史的位置付けを変えてきたように思える。それが目立ち始めたのは、遠く、1970年代に遡る。
近頃は、日本を代表する知識人であると自負する某有名人が、南京虐殺など中国人流の誇大表現だと言ってはばからない。けれども、私は、南京大虐殺は本や記録でいくらでも見てきたのだし、それら全てをどうして否定できるのか、首を傾けてしまう。
私の高校時代、大学に行くのに世界史を選択しないのは、トイレに入るのにトレぺを忘れるのと同じだ、なんて言いあっていたが、最近はどうなのだろうか。若者は本を読んだり資料にあたったりすることが少ないという、心配するところである。
日本は確かに変わった。自分の選択を託す政党は今や無く、一度選ばれたあとはその時の弾みで何をするか判らない、お任せください政党ばかりが目に付く。平和憲法は汚され尽くし、皆がしたり顔して自分の事ばかりしゃべっている。

極東諸国は、いつ日本が軍事的脅威を振りかざすかもしれないと戦々恐々である。極東諸国がまとまって他に拮抗できる経済圏を形成しなければならないのに、日本軍の亡霊がその動きを封じている。

戦争が何をもたらしたか。迫害、虐待、抹殺・・・まともなものが姿を消し、ろくでもないものがはびこる。
その悲惨さを直視し、二度と行わせてはならない。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://cyberbust.asablo.jp/blog/2005/08/15/46774/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。